2023年11月6日月曜日

子育てを終えて

 ホームスクールクラブと銘打ってやり始めたブログだが、愚息も19歳、来年は20歳になる。もう子育ては終わったといっていいだろう。


そこでちょっとだけ振り返ってみてみたい。59歳でできた子だからもうそれはそれはかわいかった。猫かわいがりというのを絵にかいたようにかわいがった。

私は一人っ子だった。父は仕事が忙しくてほとんどかまってくれなかった。

母もかわいがってはくれたがとても変わった人で無意味に厳しくてしょっちゅう怒られていた。だから小さい時はいつもびくびくしていた。小学校の先生が私のことをあの親に育てられてどうなるのかと興味深く見ていると言われたと同級生から後から聞かされた。

東洋経済に「トラウマが原因で生じる「第4の発達障害」」幼少時に不条理にプレッシャーを受けると発達障害が起きることがあるとある。という記事があった。

そのため私はASDの気があり、他人とうまく付き合うことがどうも苦手で一人で過ごすことが多かった。しかしなぜか学校の成績は悪くはなかった。特に数学は大好きで高校時代90点以下をとったことはなかった。その分英語はカラっきりだめで赤点を何度もとった。たまに零点をとったこともある。そのため大学は希望した理科系には行けなかったが、人と付き合う必要がないプログラマになった。

子どもが生まれすぐに読んだ本が子育ての決定打になった。その本の名前は「魂の殺人」(アリスミラー)だった。そこでは虐待の連鎖が書かれていた。ナチスの起源に対しても同じ原因があるという。

虐待を受けた子供の多くは自分の子供を虐待してしまうという内容だ。だから一度虐待の環境で育つと次々と連鎖して終わらないのだという。さらに虐待の説明があって、私がまさにそれに当たるということを知り連鎖させてはならないと決意した。

子供をかわいがってもなんでも言いなりになると子供は世界をなめてかかる。だからと言ってこうすべきとか、してはいけないと強要することもまた委縮させるだけと書かれている。

親は子供に対し壁であるべき。危ないことや親が困ることは断固として止めるが指示はしない。叱ることのも怒ることも、ほめることもしない。子供がやりたいことであればそれが本人や誰かを危険にさらすことは断固として止めるが、そうでなければ多少の失敗は気にしない。2歳ぐらいのときどうしても聞かないとき2回だけタイムアウトをしたがそれ以降したことはない。

そうして彼のやりたい方向を後ろから見ている。モンッテソーリもサドベリーもサマーヒルもすべて彼を連れて行って、どう思うと聞き、行きたいといったときはそのための協力したが、やりたくないといわれたことはやらせることはしなかった。小学校も体験に行ったがみんな前向いて座っていて楽しそうだとは思えないといい行かなかった。

息子が小学校に上がる前に足し算、引き算を聞いてきた。簡単に教えて、ついでに割り算を教えた。

ここにイチゴが6個ある。とお前の二人で分けると何個ずつかなと聞いた。息子は少し考えて3個と答えた。さあ食べようとしたところにお母さんが帰ってきた。「あ、ずるい、私にもちょうだい」と言われた。さあ一人何個になるかわかる?と聞いた。するとまた少し考えて2個かな。と答えた。そう、それが割り算なんだよというと、息子は「なーるほど。わかった」と答えた。

サドベリーで算数が苦手な中学生がいて、割り算を聞かれた息子は一生懸命説明をしていた。幼稚園児が中学生に教えているとスタッフが驚いていた。その中学生の名誉のために言うが大学生になり頼まれた仕事を次々こなして頼りにされているとのことだ。

その後学年が上がるにつれて週に2,3回20分ぐらい算数を教えていった。めきめき覚えていき11歳のころには2次方程式や立体幾何を解いていた。

サマーヒルに行くようになり息子が私に「もう教えてくれなくていい、スクールで教えてくれるから」というのでその日を境に教えるのを一切やめた。

大学受験勉強をしているとき、息子が「数学は得意だったけど、お父さんが教えてくれなくなってからそこで止まってしまった」というので、お前がもういいといったからやめたんだというと、「えー、そうだったの 全然覚えていない」というのを聞いてショックを受けた。

無理にでも教えていればよかったと正直後悔している。

私はとにかくホームスクーリングが最もいいと今でも考えている。

学校教育


学校はその存在そのものに無理があって、行けば子供は多少なりともその無理を抱えてしまう。ビルゲイツは数学が得意になる方法は個別教育だと言っている。しかし、学校そのものが個別教育ができない構造だ。一人一人にその能力に合わせて教えるなど今の学校ではかなりむつかしい。

息子を学校に行かせないという決断をしたバカをつくる学校となんで学校へやるの2冊の本。


ゆとり教育が行われた時期があり、政治的に中止させられたと聞いている。そしてその時期に学校を過ごした人たちをゆとり世代と誹謗する傾向がある。円周率を3.14ではなくて3と教えたと非難しているが、事実は円周率を理解できない子は3と教えても構わないということであり、それぞれの子に合った教育という理念だそうだ。

私はゆとり教育は大成功だったと考えている。その時期を全面的に過ごした大谷翔平と、藤井聡太もまたその影響を受けている。


大谷翔平、藤井聡太

つまり、彼らはそれまでの画一的教育を比較的受けずに育った最初の世代だ。自分は自分らしくあればいいという教育理念が大谷の二刀流という形になり、藤井の独創的将棋に表れている。今までの教育を受けてそれを信じてきた人たちは彼らのことを理解することができないのだろう。大谷たちがこれからの世界と日本の新しい骨格を作っていくだろうと信じている。

どんな忙しい親でも週に2,3日10分や20分を子供に割く時間はあるだろう。そこで教えるというより一緒になって考えるということをする。問題集を買ってきて1ページだけやる。できるとさっさと先に行き、できないとき一緒に考えてわからないと1か月1年さかのぼって教科書や参考書をひっくり返して子供と一緒に考えて解いていく。そこからまた少しずつ前に進む。

私は砕氷船方式と言っている。氷が薄ければどんどん行き、厚ければ何度も前後して割って進む。親はわからなくてもいい、一緒に考える作業が子供にとって至宝の時となるのだ。

さらに言えば小学生時代は遊んでばかりでいいし、中学生では英語と数学ができればいい。ほかの科目はみんな暗記物で一夜漬けでも問題ないと思っている。

あえて言えば社会に出て学べばいい。私が学生時代に覚えたもので社会に出て役に立ったものなんかない。すべて社会に出て自ら学んだものが私の今の基礎になっている。

私は今でもホームスクラーがよかったと思っているが、日本ではホームスクーラーがほとんどいない。また一人っ子なので家にいるとどうにも退屈してしまう。青年期は親より友達が大事だ。日本にいては世界を見る目ができないと思いイギリスへ連れていき本人も行きたいというので行かせた。

今は帰ってきているが人間的には普通に育ったと思う。間違えていないだろうと思うがもう少し経たないと結果はわからない。

少なくても少年時代を思いっきり遊んできたといえる。そして自分から大学に行くと言い出して塾にもいかず一人で勉強して大学に入った。

いまはボウリングもビリヤードも親と付き合ってくれるし、鉄道模型は年のせいでよく見えないとき息子に見てもらうと簡単に直してくれる。プログラミングもデバッグも早くて妻が驚いている。いつも昼まで寝てるが授業があれば一人で早起きしていく。

このうえは早く結婚して孫の顔が見れたら私も至福の人生だ。

ホームスクールクラブはこれでおしまいのつもり...