2011年5月20日金曜日

健康診断

小学校から健康診断がありますが受けられますかと電話があった。

考えた末受けることにしたが、小学校ではなく、市役所に行ってほしいと言われた。


指定された日に息子と義母が市役所に行き、心臓の検診を受けた。
特に何の問題もなく受けることができた。

尿検査があるのでおしっこを持ってきてくださいと言われ、
今朝、妻が息子の小水を取って、それは小学校に届けに行った。

ご苦労様で終わりだった。

妻の母が帰ってしまったので、また息子はつまんないとぼやいている。
つまんないなら小学校に行って見ればというと、それは嫌だと答えた。

子どもに仕事の邪魔をされながら毎日が少しずつ過ぎていく。

2011年5月16日月曜日

どこでもドラえもん 日本旅行ゲーム

この間から息子とモノポリーを繰り返しやっているが、どうしても勝てない。

ほかのゲームではそう負けることもないのに、
モノポリーだけはやるたびに私が破産している。

勝ったり負けたりならいいんだけど、あまり癪に障るので、
息子に「もう君とはやりたくない!」と言い放った。

これじゃどっちが子どもかわからない。 ^_^;;

でも息子はモノポリーをやりたがってぐずるので考えた。

彼はドラえもんの学習漫画に嵌っているし、地理の勉強になるしと
「どこでもドラえもん 日本旅行ゲーム 3」を買ってあげた。

これで目先を変えると 自分も勝てるかもしれない。 ^ ^

そして届いてすぐ妻の母が遊びに来て、二人で遊び始めた。
狙い通り、息子はこのゲームに嵌って朝から晩まで二人で楽しそうにやっている。

聞くと凄く面白いと言う。
この前までフランスがどこにあるかもよくわかっていなかったのに、
今、エチオピアに行くと叫んでいる。

私もやってみたいが、息子の方が詳しくなって、ちょっと勝てそうになくなってきた。

やってみたいが、これでまたぼろ負けすると親の権威が......


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2011年5月14日土曜日

幼児教育について

息子はホームスクールを始める前にモンテッソーリの幼稚園に2年間行き、2年間サド ベリースクールに行った。その感想を書いてみたい。

モンテッソーリには主体性を重んじる教育理念に打たれて入れることにした。ここではとてもいい環境ですごせたと思っている。躾もきちんとしていたし、一人ひとりの個性に合わせた指導をして頂いた。ただ、息子を園に連れて行くと「お父様行ってまいります」と挨拶されるようになったのには驚いて、そして参った。ウチはそんな上流家庭ではないので止めて欲しいと正直思った。また、予想はしていたが、クリスマスなどにカソリックのミサをされて、無信心な私ら夫婦にはとても場違いな気分にさせられた。それにお受験教室的指導が行われていて、それは違うというわけで、本当なら4年のところ2年で辞めさせた。
それでも、モンテッソーリの理念は今でも正しいと思っている。いい経験にはなった。

次に行かせたのがサド ベリースクールである。ここはモンテッソーリより自由な理念が気に入って、わざわざ引っ越して入会した。息子はモンテッソーリのときを振り返って「かたっくるしかった」といったが、スクールはとても気に入っていた。毎日自転車で通い、体調が悪そうなときも休むかと聞くと「絶対やすまない」と答えた。ここで息子は18歳まですごすことになるだろうと思っていた。

1年たったとき事件が起きて、そこに通っていた息子を除く子供たちが一斉にそこを退会した。理由は色々あったが、私は止めるまでも無いと考えて、そのまま続けた。それでもだんだんスクールに対する不信感が募ってきて、結局その1年後に退会することになった。息子も特に異は唱えなかった。
一番の問題はそこの設立者の思想だった。私はテレビもテレビゲームも幼少時に触れさせるべきではないと考えていた。今でもそう考えて、家にもテレビは無い。息子もテレビやテレビゲームに触れることなく育ってきたが、スクールでテレビゲームを覚えてしまった。他にも考え方の違いがあってホームスクールにするしかないと考えるようになった。

モンテッソーリもサド ベリースクールも理念は正しいと今でも思っている。残念なことはどんなに理念が正しくても運営次第で理念が生きないこともありうるということを知った。

私は幼児教育で文字や数字をムリに教えるのではなく、遊びの中から物事の本質を捉えることが出来るように本人の自由意思を尊重しながら、その子らしい育ちが出来ればいいと考えている。
そういった意味ではいずれも本人の意思を尊重していると考えることが出来る。問題は親や教師の意思をどう伝えていくかということだと思う。
モンテッソーリは私の考えとは少し違う方向に誘導しようとした。サド ベリーでは全て子どもの思うままにさせていた。いずれもちょっと違うと思う。子どもを学歴社会に組み込むのはモンテッソーリの理念とは違うと思うし、親としては自由の中に子どもの将来の為に慎重に環境を整備すべきだと考えている。

そう考えるとやっぱりホームスクールしか選択肢は無いのかもしれない。

2011年5月10日火曜日

飛鳥、奈良、京都

かなり無理をして4日間で飛鳥と奈良と京都を走り回ってきた。
飛鳥と京都ではうまい具合にレンタサイクルを借りられて、効率よく回ってきた。

奈良には子ども用のレンタサイクルはなくてバスとタクシーで移動した。


飛鳥(明日香)は昔、日本政治の中心だったとは思えないぐらい片田舎であった。
それに比べて奈良は都会だと思った。が、京都に行くとさらに大都会だった。

歴史大好き少年の息子にとって大満足の旅だった。
彼にとって飛鳥で一番おもしろかったのは飛鳥寺の飛鳥大仏で、
奈良では東大寺の大仏に感激していた。

京都ではやはり金閣寺と銀閣寺で トロッコ列車も楽しかったと言っていた。

私は平城京跡の旧蹟再現事業が興味深かった。 

私と妻が10年ほど前に来た時は京の街がさほどと思わなかったが、
今回、素晴らしく変身していたのでとても驚いた。

ちょっと京都に嵌りそうになっている。

旅館の仲居さんが息子に幾つ?と聞くので息子は6歳と答えた。

すると小学1年生ね、学校はどうですかと聞いてきた。

そこで息子は困ってしまった。
そこで私が代わりに実はホームスクールなので学校は行っていませんと答えた。

するとその中居さんは
「それはいいわね。 」
「学校なんか行かなくても、読み書き計算は自然に覚えるわよ。」
「ほかの勉強は何も役に立たなかったし、学校へ行くことは時間の無駄ね。」

「経験することに勝る勉強はないと思うわ」

いいことよ、何年かしたらまたいらしてくださいね。楽しみだわ」
と言ってくれて、盛り上がってしまった。

 

閑話休題。東本願寺の前を歩きながら阿弥陀堂を覆っている素屋根を息子に説明していたら、
息子が「寺を屋根が覆ってら」と洒落を言った。
息子が初めて意味の通る洒落を言ったことに感激してしまった。うれしい

2011年5月2日月曜日

いとこ

この一ヶ月、息子と将棋やトランプを教えたり、遊び百科の本を見ながら、
庭で石蹴りなどを教えて一緒に遊んでいる。
勉強は一切教えない。本人がやりたいとき勝手にやっている。

息子は一人で本を読んでいるとき以外は「つまんない」を連発してる。
一緒に遊んであげるようにしてるが、しばらくするとこちらが飽きてしまう。

このところ2歳上のいとこの女の子が毎週のように遊びに来る。
その子は普通に小学校に行っているので土日だけだが、とても助かる。
大人から見るとそれほど面白いとも思えないことに二人で夢中になっている。
夜になると二人で一緒に風呂に入って、親は入れてくれない。

いとこの父親と三人でモノポリーをやって、子どもたちがぼろ負けした。
いとこは平気だったが、息子は泣いてしまった。
でも彼は息子の物覚えと暗算の速さに驚いていた。

「つまんない」というから、「つまんないなら、学校へ行けば」
「学校ならやることいっぱいあるから、退屈しないかも」と答えると、
それはいやだそうだ。
「どうしていやなの」と聞くと、
「好きな勉強も遊びもやりたいときやれないから」と答えた。
 そりゃそうだ
学校は今のところ何も言ってこない。

とりあえず、問題もあるが、ホームスクールも一ヶ月が無事過ぎた。

あしたからは息子が大好きな歴史を体験するため、
飛鳥、奈良、京都と旅をするつもりだ。
息子はとても楽しみにしている。