2012年9月14日金曜日

学校の崩壊

松本城

教育とは何かを考えてみたい。そもそも、教育には 1.学校教育、2.幼児教育、3.成人教育などがある。ほかにも音楽教室や英語教室などがあるがここで取り上げたいのは学校教育である。

日本の学校は教育基本法が基本法でこれにより各種法律や政令が施行されている。その目的を教育基本法の第一条に書いてある。

第一条(教育の目的)
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。

私はこの教育基本法を批判したい。

2012年9月6日木曜日

サドベリースクール2

もう一つご質問にお答えします。 これもサドベリーに関する質問でホームスクールクラブの趣旨と違うのでサドベリーのページを起こしてそこでされるといいと思います。

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サドベリーがそんなにいいなら、以下の質問に的確に答えを返せよ。


①卒業生は10人程度しかいないのに、なぜ10人分以上の卒業後の進路が出てくるのか?

②学校を否定している割に大学には行くんですね、大学も「学校」ですよ。サドベリーが批判する「テストで順位付け」「点数で判断」をする場所ですよ。


③いじめがあっても司法委員があるからとか言いますが、司法委員がいじめっ子(加害者)だった場合どうするのか。濡れ衣着せて気に入らない奴を辞めさせることだって出来る。痴漢冤罪に近いと思うが?

④卒業後の進路を「具体的」に書いて下さい。

⑤会社設立しているなら、その会社のURLを出してください。

⑥進学しているなら、その進学先の学校名を書いて下さい。

⑦よく、学歴がなくても成功したと言われる人物が例に挙げられてますけど、実際は高卒並の学歴ですよ。現代の学歴に置換して「中卒」と言われてるだけですが?


大概のサドベリーはこの質問をされると「自分のブログでやれ」「自分の所で主張しろ」と言います。
ちなみにとうはんはギャク切れして質問者をアク禁してました。

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1の質問の意味が不明ですが、サドベリーの卒業生が全部で10名という意味ですか?
日本の卒業生はそのくらいでしょうが、アメリカでは40年の歴史がありますからその進路はいろいろでしょう。

2.大学と高校以下は全然違います。高校までは一斉授業で自由に学科を選択もできず、成績が悪いと無能力者のような侮辱をされます。大学は自分で研究を選んでするところで、テストはありますができなければ、落第するだけで人格には関係ありません。ゼミ等で研究した結果で評価されます。ただ日本の大学にも問題があることは承知しています。だから実際はアメリカなり外国の大学に行くことも多いようです。

3.スクールにより違いますが、司法委員会のメンバーに当事者をいれることはありません。 日本の裁判でも当事者は裁判官から排除されます。

4.卒業後の進路はいろいろです。コックになった人もいるし、大学に行った人もいます。具体的事例をすべて把握しているわけではありませんし、あまり興味もありません。ご自分で調べられたらどうですか。それにどうして気になるのですか。

5.嫌です。仕事とは関係がありませんから。

6.誰が進学しているのでしょうか? 私ですか? 私だとして、私の学歴はたいした意味はありません。無駄な学歴だったと思っていますから。

7.中卒でも本当に力があれば粘り強く交渉することでどこでも入ることができます。さらに力があれば企業を興すなり、自分で仕事を作ってしまえばいいのです。それが生きる力です。学歴に依存していると仕事はなくなりますよ。

ここでは冷静で、論理的であれば拒絶はしません。感情に走って人をののしる人はブログの環境が乱れるので拒否します。レストランだってそういう客は出入り禁止になります、当たり前のことです。
以下の質問に的確に答えを返せよという言葉がひどく礼を失しているとは思いませんか。

私自身はサドベリーが完璧だとは言っていませんし、ここはホームスクールクラブですからサドベリースクールの件はおしまいにしてください。

サドベリースクール1

ご意見がありましたのでそれにお答えします。ここはホームスクールのページであり、サドベリースクールのページではないので簡単にご説明します。

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サドベリーの生徒ってたぶん発達障害あると
思いますよ。
一斉授業では付いていけないけど個別ならちゃんとできるとか、興味ある事はやるけど、
興味のない事は他人に迷惑をかけようがやらない。
典型的な発達障害(ADHD)ですよね。
幼い頃から適切な治療や訓練を行えばある程度緩和されるけど、大人になってからじゃ
本人が苦しむだけですもん。
個性()とか言ってないで病院連れて行けといいたい。

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前回も書きましたが、発達障害という障害が本当にあるかということについては大変疑わしいと思いますね。たぶん自分と比べて学習ペースが異なる人をすべて学習障害として決め付けているんではないでしょうか。

例えばエジソンは先生の言うことに一つ一つみんな疑問をぶつけて、さっぱり先生の言うとおり覚えようとしなかったそうです。その結果、先生から学習障害とみなされて学校を追い出されたそうです。実際は皆様もご存知のとおり、彼は学校には行かず、治療も訓練もされずに自らいろいろと工夫をして世界的発明王になったのです。

そもそも一斉授業というもの自体が教える側の都合(効率)で作られたもので、教わる側にとって単なる我慢の強制装置でしかないと思うのです。しかも我慢して勉強しても必ずしも満足行く結果を享受できるとは限りませんね。

例えばある生徒が本当に一生懸命勉強しても、ほかの人たちがさらに勉強してよい成績を取ればその生徒の成績は低下してしまうのです。つまり今の学校では努力した結果がそのまま成果として反映するとは限らないのです。結果として自信を失い、優秀な頭脳を持っていながら人生に落ちこぼれていった人はかなりいたと思うのです。

それに脳の研究はまだほとんど解明されていない状態で、茂木先生も未知の分野だといっています。果たして医者に見せてよくなるのでしょうか。逆に危険な薬を投与されて精神状態に異常をきたした人もかなりいるのです。私は病院にいくと病気にされることがあるからそこは警戒したほうがいいと思いますね。

もうひとつサドベリーの子どもが一斉授業についていけないというのも、あなたの思い込みです。サドベリーの親は一斉授業についていけないのではなく、一斉授業についていくことで自分の子どもが壊れてしまうと思っているのです。それが耐えられないから学校に行かないのです。

他人の迷惑をかけるという点については、サドべりの子どもたちのほうが気を配っています。なぜかといえば、彼らは常に異年齢で遊んでいます。そのとき自分のやりたいことだけを主張すると仲間に入れてもらえません。みんなの言うとおりにやると面白くありません。だからどの遊びをするときでも相互に深く話し合いをします。綿密にルールを決めて遊ぶのです。そのとき、お互いに気持ちに配慮しないとゲームにならないのです。

勉強したくなっても教えてもらうためにスタッフやメンバー間でお願いしたり、話し合っています。いつでも彼らは話し合いをします。校則も子供たちの間の話し合いで決まります。大人はサポートをしているだけです。

私は学ぶということが学科を記憶することだけではなく、このようなお互いの人間関係を深く理解することが大人になるに当たって最も大事なことだと思っているのです。社会に出ると知識はほとんど役に立ちませんが、コミニケーショーン能力がないと仕事ができませんから。

2012年9月5日水曜日

ネットゲームについて

新学年でもTake it easyなのだ~でコメントをいただきましたのでその件について改めて記事にしました。

息子は小学2年生です。私は勉強をしていることを自慢しているわけではありませんよ。(そう見えるかもしれませんが) 学校へ行かなくても必要であれば勝手に学ぶものだと言いたいだけです。だから世間の小学2年生が何を学んでいるかは余り興味もありません。

だいたい、いま子どもがどこまで知っているかはほとんど自慢の種にもならないでしょう。学習障害という考え方が最近言われるようになりましたが、これは大人の思い上がりではないでしょうか。子どものとき学校に不適合だった天才は数多くいます。(エジソン、ニュートン、アインシュタインなど) 私は人を学習障害と決め付ける方はその人のスケールが理解できないだけじゃないかなとすら思っています。

さらに突っ込んだ言い方をすると、10歳か12歳までは文字が読めなくたって大丈夫だと思っているのです。というより、その間に野山を駆け回って自然に触れたほうが大人になってから大きく成長すると考えています。ある日突然文字が読めないと困ることに気づき、そこから猛勉強を始めても間に合います。なぜならその子にとってとても必要なことだからです。

15歳までは釣りばかりして遊んでいた子が16歳から猛勉強してハーバード大学に入学したと言う話もあります。その人は卒業して国際企業に勤めディレクターとして世界を駆け回っています。彼は15歳までホームスクールで遊んだことが今の自分を形作っていると語っているそうです。

サドベリーバレースクールで4歳で文字を読み書きできるようになった子どもと、14歳までまったく文字を読めなかった子が卒業して二人で遊びに来た時のことです。やはり見学に来た人にこの二人のうちどちらが4歳で文字が書けるようになったか分かりますかと聞いたところ、その人がいろいろ聞いてもまったく見分けがつかなかったそうです。

人はそれぞれです。決して一つの枠に入っていないとすべてが失われるとは考えないほうがいいと思いますね。

息子に遊びに行こうと言うのですが、今はゲームに夢中です。

ネットゲームについて盛り上がっているようですが、ネットゲームの功罪はプログラマである私がよく知ってます。廃人になるかどうかはその人次第だと思うけど、子どもにやらせるかどうかについてはとても難しい問題ですね。
改めて私の考えを言えば「子どもは自らの才能を最大限に発揮するため、自らの信じるところに挑戦し、その結果からあらゆることを学ぶべき」だと信じています。

よくないと判っているからとて、無理やり止めさせることは子どもの主体性の育成という観点から見てできれば避けたいと思っているのです。基本的に自分からやめるように仕向けるように努めているけど、周りの子どもたちがみんなやっているのでとても難しいことです。とりあえずは息子と話し合ってゲームの時間を制限しています。

私自身パソコンゲームに夢中になったことがあり、ある日突然つき物が落ちたようにやめました。その経験からしてある程度やりきれば飽きると信じています。なかなか飽きませんが。

いずれにしろ、これはいいとかだめだとか大人が次々と指示していると、物事の判断を大人に依存するようになると思うのです。自分で考えて、自分の判断でやめて欲しいと思っているんです。
大変難しいことだとは思いますが、そこを乗り越えないと、大人になっても誰かの指示を待っているようになりかねません。会社を経営していますが採用した男性の80%は指示待ち人間で辞めてもらいました。興味があって彼らに親の躾を聞いたところ、すべて親から厳しい躾をされていたと話していました。

これからの時代、そんな依存した生き方では生活の維持すら難しくなると思うのです。

学校と言うところがまさに朝から晩まで子どもに事細かに指示しその指示に従うことが生きることだと教え込んでいます。それが私には耐えられないので、あえてホームスクール(私の場合はサドベリスクールですが同じことです)を選んだ理由なんです。
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コメントをいただくにあたって、異論のある方であってもご意見をいただけるのは嬉しいのですが、余り感情的にならずに落ち着いたやり取りができればとてもありがたいなと思っています。