2014年1月15日水曜日

英語教育

面白い記事があったので引用です。

勉強科目以上の切実な必要性を自分の内部に見つける
片岡義男(作家)

英語という外国語は、ほとんどの日本人にとって、学校での勉強に始まり、学校での勉強に終わる。中学からその勉強を始めて高校で終わるとしても、実に6年の長きにわたって、英語を勉強科目として誰もが背負い込む。中学生という難しい年齢の人たちに、学校の勉強科目はたくさんあり、どの科目でも試験やテストがあり、その都度採点され、最終的には通信簿での評価として固定されてしまう。英語がいったん苦手科目になったら、修正はきかない。英語が苦手のまま、学校の勉強を終える。終わったらそれっきりだから、せいせいすることは確かだが、英語は苦手だったという事実は今もそしてこれからも苦手であるだろう、という未来として続いていく。
学校の勉強科目というものは実は困ったものなのだ。学校で勉強するのは当たり前でしょう、何が困るのですか、と反論されたなら、それこそがおお困りなのだか、僕にはそれ以上どうすることもできない。勉強科目にしなければ、英語を苦手とする人地の数は、激減するような気がする。勉強科目しないとは、試験やテストをしない、したがって採点もしないから成績として固定されることもない、ということだ。難しい単語のつづりを正しく素早く口頭で言う競争などのように、採点することが当然の領域では、愉快な催し物として採点し、順位をつけ、みんなで楽しめばいい。それ以外の領域では、試験なしで成績評価もなし、ということにすると、気が楽になるだけでも学習の効果は飛躍的に上がるのではないか。

社会との接点各学校教育

日本人にとって英語を苦手なものでなくするためには、学校での教育の仕方の全域を、抜本的に変えなければいけないのだろう、と僕は思う。学校とそこでの様々な教育は、あるのが当然であり、それを受けることを通して人は成長していく、と思われている。その通りだろうけれど、学校とそこでの教育というものが、いかに不自然なものであるかには、もう気づいたほうがいい。学校での教育で全員の粒をそろえたうえでの労働力として企業その他に注入する、というこれまでの学校教育は、社会との接点を欠いている点において、不自然さを極めきっている。勉強科目とその試験そして成績は、全員の粒をそろえるために機能してきた。
社会との接点を欠いている、とたったいま、僕は書いた。英語の勉強も社会との接点を大きく欠いている。社会との接点とは日常の現実のさまざまな局面の中での、切実にして痛切な必要のことだ。例えば体に何らかの症状があるので病院へ行ったとして、外来の受付にいる担当者は日本語がおぼつかず、中国語あるいは韓国語でしゃべってもらえないか、さもなければ英語でもいい、といわれて英語をしゃべるような場面は、切実にして、痛切な必要というものの、極めて分かりやすい一例だろう。
痛切にして切実な必要が、常に自分の外側だけからやってくるものであるなら、英語は苦手科目にとどまるだろう。その正反対な必要があるうる、と僕は確信している。英語に関する痛切にして切実な必要が、自分の内部から湧き上がってくるなら、英語がいつまでも苦手科目にとどまるわけがない。問題は教育にも社会にもない。自分の内部にのみ、それはある。
エコノミスト1/14(英語と経済)

ここまで記事の引用

途中までは全く同意見ですが、最後の結論は私の感想とちょっと違います。学校教育の問題は自分の内部に深い傷を残してしまいます。それが英語(に限らず)への挑戦を自ら引きずりおろしてしまうのだと思うのです。自分の内部といえそれは生まれてからの環境の反映でしかなく、幼児期少年期にほとんど人格は完成されてしまうのです。努力をすることも、努力をすることを美徳とする環境の成果だと私は考えています。学校は努力を称賛しながら、テストと評価によってそれを台無しにしているのです。学校教育を変えない限り日本人は英語が苦手なままだと思いますね。この文章は片岡さんの信念と社会の常識との折り合いをつけたものでしょう。

私は1年ほど前から毎晩10分ぐらい布団に入って息子に英語を教えました。覚えたことを確認し、忘れていることはくりかえし戻りました。(私の能力が追い付かなくなったため)今は教えていませんが、イギリスに行って英語を勉強したいと言い、4月から留学する予定です。

2014年1月10日金曜日

海外へ

息子が海外に行く理由は、日本の教育の問題があります。

私自身は日本が大好きだし、世界から帰ってくると日本の自然や食事の豊かさに感動します。しかしながらその素晴らしい日本がいつまでもそのままであり続けることは難しくなってきているのも否定できません。

世界のグローバル化により所得の均質化が進んでいます。同じ仕事で同じ能力なら世界中同じ賃金しか稼ぐことはできなくなっています。言い換えると私たちの仕事は隣の同僚ではなく、物価の安い発展途上国の人たちと取り合っているのです。

企業にとっては給料を増やすと企業としての競争力を失います。そうすれば給料を減らすか、人を減らすしか選択の余地はありません。給与を減らすことはむつかしいので給与に見合う仕事ができない人からやめてもらいたいところですが、それができない企業が多いため、日本の生産性の低さひいては競争力の低下、衰退とつながっています。

ちなみにアベノミクスはカンフル剤を打っているだけなので、一時的に元気になっても日本の衰退は避けられないと思います。基本的に欧米をはじめ先進国は途上国に仕事を取られて衰退しているのです。

他人と同じことをやって仕事ができたのは20年前まででした。給与に見合う仕事のために倍働くと体を壊すでしょう(=ブラック企業)。生き残る人は人が気付かないことに気づき、会社の利益を上げることができる人です。大切なことは独創することとそれを他人に説得することです。

この独創性のために最も大事なことが子ども時代の遊びです。子ども同士で遊びすぎるぐらい遊ぶと次々とルールを変えて試しています。何度も何度も話し合って工夫をしています。また昆虫や魚に夢中になってもいいのです。そこにまた工夫があるのです。

教室でおとなしく座っている何倍も何十倍も工夫をします。工夫することで工夫する思考手順を自ら学ぶのです。それは教わってできることではありません。大人は放っておくしかないのです。独創性というのは自分がやりたいことをやりたいようにやることです。それが他人から見れば独創になるのであり、決して何か独創的なことをやろうとしてもできません。ましてや教えてできることでもありません。

さりとて、人と違うことをやっても人と衝突ばかりしていては成果は上がりません。つまりは独創性と同時に交渉力が重要です。つまりやりたいことを論理的に整理しないと説得できないのです。
ここでも子ども同士の遊びの中にすべて含まれているのです。

  • やりたいようにやるだけでは一緒に遊んでもらえません。
  • 人の言いなりにやっても面白くありません。
  • やりたいことの面白さを他人に説得しないと一緒に遊べないのです。

一方日本の協調性は「異なる意見を論理による説得で対立を解消する」ことではなく、暗黙の合意に従うと(空気を読む)いうことに他ならないのです。
ここでの空気は「たぶんほかの人はこう考えているだろう」という推測です。そこには「私はこう考えるが、君は」という対立と共存がありません。日本人だけの集団では対立することが人間関係の毀損につながるため対立する前に避けるのです。

ところが日本では協調性重視で教育されてきた人たちが教育や企業の中枢を占領しています。その結果、子どもたちの特異性は圧殺され、意志が強ければ抵抗しますが、その結果いじめや体罰など組織的に排除または矯正されてしまうのです。
一時期「ゆとり教育」で期待を持ったこともありますが、それもひどい揺り戻しで元の木阿弥になりました。

国際都市ロンドンでは50%ぐらい外国人がいて多種多様な人種が入り乱れて生活し、仕事をしています。暗黙の合意なんかどこにもありません。ニューヨーク、シンガポールなどでも30%以上の外国人が共存しています。一方東京では外国人の比率は3%ぐらいしかありません。

出る杭は打たれるということわざでわかりますが、日本人は世界から見てかなり異質だと思います。基本的に国際会議でも自己主張をしません。日本では自己主張が強いと変人扱いされ仲間はずれになりかねません。しかし世界は自己主張をしないやつはそこに存在していないものとされ、正当な考えも無視される傾向があります。

10年後日本はそのあまりの非効率さから経済的にも政治的にも衰退し、影響力を失うでしょう。日本だけで生きていくということは貧しい人はさらに貧しくなると考えています。

日本の学校で教育を受けると、独創性や交渉力だけでなく英語も国際的には通用しません。

かと言え、あまり幼少から外国で生活すると日本人としてのアイデンティティが失われ、「おまえは何者だ」という指摘に対し答えられないという根なし草になることも恐れます。

一方、年齢が高くなってから外国に行っても思考の柔軟性が失われ、日本人の発想に縛られて世界と対等に渡り合うのが難しくなるでしょう。

サマーヒルスクールが外国人は9歳から11歳までしか受け入れないという姿勢は私も共感できます。同様の考えはクロンララスクールでも聞きました。

アジア諸国(香港、シンガポールなど)でも小学生留学はありますが、今回の選択には全く入りませんでした。アジア諸国は日本以上に管理教育が厳しく、私の本意ではありません。

たぶん20年たっても英語が世界共通言語というのは変わらないでしょう。そしてイギリスは大英帝国時代の世界支配の経験があり国際的コミュニケーションの取り方は慣れています。それにキリスト教文化の感性を年少時に体験しておけば大人になって外国人との交渉に役に立つはずです。
サマーヒルスクールには世界の各地から子どもたちが集まっています。大人になった時、世界中に同じ年代の友達がいるということは大変な財産になるはずです。


彼の将来が企業であろうが、政治であろうが、研究生活であろうが、大事なことは独創性と交渉力そして英語力でしょう。そのどれも日本にはないということはとても悲しいことですが、息子が将来日本に戻って教育改革に取り組んでくれればそれはそれでうれしいと思っています。

2014年1月6日月曜日

海外のフリースクール

2014年が開けました。あけましておめでとうございます。
久しぶりに書き込みをします。

昨年は私たち家族はアメリカとカナダとイギリスに旅行し海外のフリースクールを見て回りました。といってもわずかですが。

まずアメリカではサンフランシスコにおいて(フリースクールではありませんが)サマースクールに半日だけ息子一人で入ってきました。次にデトロイト郊外のクロンララスクールに行き、さらにまだ開校前でしたがカナダトロントのリーチサドベリースクールに、そしてボストン郊外のサドベリーバレースクールを見て回りました。ほかにサンフランシスコとマジソンでホームスクールの仲間と交流しました。そして、一度日本に戻り、今度はイギリスレインストンのサマーヒルスクールを訪問しました。

とにかく猛スピードでクルクルと回ったので目が回る一年でした。そんなこんなで日本に帰ってもバタバタと忙しくてこのホームスクールクラブにまで手が回らず、申し訳ありませんでした。

結論から言えば息子はイギリスに行くことを選択しました。ほかのスクールより特別素晴らしかったわけではありませんが、ほかのスクールには寄宿舎がなくて親子で引っ越しをするしかなく、それは大変難しかったからです。

また日本のサドベリースクールに在籍しているのでそこを抜けることも息子にとっては大問題でした。ですから、最初にアメリカのスクールの話を持ち掛けたときは言下に嫌だと言いました。

それでもアメリカへは一家で移住することも視野に入れて大陸をレンタカーで横断縦断しました。

まずホームスクールをアメリカの国内でやることについてはほとんど不可能という結論になりました。なぜかといえばホームスクーラーには就学ビザが降りないとクロンララスクールから聞きました。そうなると観光ビザとなりアメリカでは3か月に一回日本かヨーロッパに移動し戻ってこないといけません。三か月ごとに飛行機に乗って移動するのでは息子も落ち着いて生活はできないと思うのです。

クロンララスクールでは就学ビザを出すことは出せますといわれましたが、寄宿舎がないので親が一緒に現地に滞在する必要があり、しかし親の就学ビザか就労ビザなど長期ビザがなければ子どもを置いてアメリカを出入国する必要があります。夫婦どちらか片方がアメリカに息子と同行し、もう一方が3か月以内に日本から来て、入れ替わりにもう片方が日本に帰国する、それを繰り返すことも真剣に検討しました。


最後にサドベリーバレースクールに行きました。そこはかなり理想的な環境で息子が海外で過ごすには最適と考えましたが、就学ビザが出せないといわれ、ホームスクールと同様の問題で断念するしかありませんでした。

この時点ではクロンララにするつもりでしたが、仕事の関係で移住することはむつかしいのでもう一つサマーヒルスクールも検討することにしました。

日本に帰り、英国レイストンのサマーヒルスクールと連絡を取って11月に訪問しました。そのスクールには寄宿舎があり、諸外国から滞在している少年少女が滞在していて、さらに日本人のスタッフやメンバーもいました。そのため言語的な混乱もなくかなり詳しく話を聞くことができました。ちなみに外国の子どもは9歳から11歳までしか受け入れていないとのことでしたが、息子は9歳で問題はありませんでした。-なお年齢制限の理由は9歳未満では母国のアイデンティティが失われ、12歳以上では公立校の悪しき習慣がスクールにとって障害になるそうです。
日本から英国への移動は息子を成田空港まで送れば、航空会社が面倒を見てくれ、到着したヒースロー空港でスタッフが待機していて一緒にスクールまでバスで連れて行ってくれるそうです。帰りも同様だそうです。

サマーヒルでは初日に親子3人とスタッフで話をし、翌日息子が一人でスクールに行き、私たちは近くの海岸で散歩をし昼過ぎにスクールに戻りました。その間息子はほかの子どもたちとブルドッグという鬼ごっこをしたり、ドラムを教えてもらったりして過ごし、昼も一人で食堂に入ってメニューから一つ選んで食べたそうです。その後親子でスクールミーティングに参加して話し合いのやり取りを聞くことができました。スタッフとメンバーが結構激しく論争しているのに感動しました。もっとも内容は全く分かりませんでしたが。

サマーヒルと私たちとの話し合いをした結果「あなたの子は理想的で問題は全くないからいつでも受け入れます。いつにしますか?」と言われました。
問題は息子の意思ですが、帰国してから息子に「サマーヒルスクールに行くかい」と聞いたとき「おそらく」と答えて、その後何回も「一人で行って生活するんだよ」と確認しましたが、別に意思は変わっていないそうです。理由を聞くとまず英語を使えるようになりたい、他にたくさんの仲間がいて、自分がやりたいことができる環境や設備がそろっているからと答えました。
これで決まりで、息子はとりあえず4月から1学期だけイギリスのサマーヒルスクールで暮らし、夏休み日本に帰り、続けたければまたサマーヒルに戻ることにし、18歳までは通うことができます。いつでも無理だと思えばやめてもいいと伝えました。

ちょっと息子が羨ましいなと思いました。

なぜ海外かは次回書きたいと思います。